ケンケンを出産してから早くも3ヶ月が経ちました。
記憶が薄れていく前にケンケン妊娠中のことを書いておきたいと思います。
第一子たけこちゃんの病気が私からの優性遺伝であることが判明したため、第二子ケンケンについても妊娠初期から出産まで大学病院でお世話になることに決めました。
22wの妊婦検診のエコーでケンケンの側弯が指摘され、38wで帝王切開との話が主治医のI先生(たけこちゃんと同じ先生)からありました。
産まれたあとのフォローを考えると大学病院で出産することを決めてよかったなーと思ったのも束の間、母体自身がハイリスク妊娠だったようで...(そもそも41歳の高齢出産)
23w2d:起床後トイレに行き出血に気付く (朝4時30分頃)
主人に報告後、病院に電話。
すぐに診てくれるというので、タクシーで向かう。(多分、朝の6時頃)
当直の先生(産科でなくて腫瘍班って言ってました)が診察をしてくれました。
先生:「うーん、これは前置胎盤だねー」
私:「ゼンチタイバン?」(当時の私は知識不足で漢字に変換できていない)
先生:「主治医は?何も言ってなかった?」
私:「I先生です。何も言われてません。」
先生:「警告出血だね」
私:「ケイコク出血?ゼンチタイバン?帰ったらネットで調べてみます」
先生:「怖くなるから見ないほうがいいかもよ~。とにかく安静に。I先生には伝えておくので、次回の検診が早まるかも。」
先生の診察のあと、
「とにかく安静に過ごしてください。仕事休めないなら診断書書いてもらいましょう」
「早めに入院準備しておいたほうがいいですよ」
「次、出血があったら即入院の可能性もありますよ」
と看護師さんに言われたのを鮮明に覚えています。
前置胎盤。初めて聞いた言葉なのでハイリスク度に実感湧くことなく朝8時前には帰宅し、その日は仕事を休むことに。
その日の日中、気になるのでネットで「前置胎盤」をキーワードに検索し、2週間後に予定していた年末年始での東京への帰省を取りやめることにしました。
検索して初めて目にした説明がこの日本産科婦人科学会のもの。その後、出産まで間違いなく何十回も読んだ気がします。
楽しみにしていた帰省を取りやめたのは良い決断だったと思いますが、今振り返るとこの頃はリスクを十分に理解していなかったなーと思います。
時間を戻すことが出来るのなら、この日に戻りたい。